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2021年6月

2021年6月17日 (木)

老犬さくらの独り言その2

 「妻の無償の愛」から引き続いた第4弾である。

 隣のおばさんにお世話になっているのは相変わらずだが、吾輩は少し甘えが目立ち始めたようだ。鳴くとおばさんが駆けつけてくれるので、うんちやおしっこをしたいときにも鳴くようになった。困ったもので、催してくるのが深夜の1時から2時ごろと明け方の4時から5時ごろなのだ。さすがにこの時間になると、吾輩の飼い主は当然のこととして、おばさんも中々来てくれない。1度隣のおじさんが来てくれた(何をしているのか知らないがおじさんは宵っ張りだ)が、おばさんのようにはいかない。誰も来てくれないと分かっていながら、1時間ほど疲れるまで鳴き続ける。当然、おもらしである。

 このようなことが4、5日続くものだから隣のおじさんが怒っているようだ。

 「これだけ他人が、さくらの会でコミュニティができるまで頑張っているのに、ここの飼い主はどうなっているのか。留守なら分かるが、深夜に飼い犬が鳴いているのに゛知らん顔”とは何たることだ。それでいて、感謝の言葉の一言でもあれば、まだ許せるがそれもない。これは一種の消極的な虐待ではないか」と。

 吾輩としては、おじさんの気持ちも分かるがどうしようもないことで、せめてただ日々、「感謝の気持ち」を忘れないことにしている。おじさん、ごめん。

 1つ、明るいニュースがあった。

 ある日、吾輩のいる駐車場に、髪を青く染めた若者が入ってきて、吾輩の口に水を含ませてくれた。当然、吾輩にとっては見知らぬ人である。そこへ隣のおばさんが飛んできて、その若者に話しかけているのが聞こえた。

 それによるとその若者は、友達が毎日、この前を通って自分の犬を散歩させているときに、吾輩を観ていてその状況を若者に話したらしい。それで様子を見に来たそうで、吾輩が余りにも苦しそうだったので、無断で入って水を含ませていた、ということだ。

 さらに話が弾み、何とこの若者は、吾輩のような老犬を引き取って、せめて犬生(人生?)の最後は安らかに過ごさせてあげたい、という活動をしているそうだ。

 そんな人が、しかもこれほど若い人が、まだこの日本に居たなんて驚きだ。吾輩は、この話を聞きながら涙が止まらなかった。日本も捨てたものではない、と人間ではないがそう思った。

 その若者は、吾輩を引き取れないかとおばさんに相談したみたいだが、おばさんも答えようもなく、「飼い主には一応耳にいれておきます」と答えていたが、果たしてどうなるか!

 吾輩の正直な気持ちを言おう。

 どんな飼い主であれ、吾輩はここに居たい。なぜなら、ここの飼い主も昔は可愛がってくれたこともあるし、なによりも今は、隣のおばさんをはじめ「さくらの会」のメンバーが、次々と心配げに訪れてくれるからだ。

 こんな「幸せ者」は居ないと思う。隣のおばさんと「さくらの会」のメンバーの方々とは離れたくない。今後、甘えは少々控えるからここに居させてください。お願いします。

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2021年6月16日 (水)

老犬さくらの独り言 その1、その2

 先にブログで紹介した「妻の無償の愛」1、2に引き続いて、「老犬さくらの独り言」その1及びその2を紹介し忘れたので、今回はまず、その1を以下の通りご披露する。

老犬さくらの独り言

 「妻の無償の愛」の続編で吾輩の独り言を綴る。

 吾輩はいくつになるのだろう? 15、6歳以上であることは間違いなかろう。眼が霞んでいるのは当然として、足腰が、従来から弱かったのだが特に最近酷くなってきた。後ろ脚だけではなく前脚も、衰えが急に目立ってきた。何しろ一旦横になったら、藻掻いてもいっかな立ち上がれないのである。それに加えて首の力も衰えてきて、一旦右向きになったら容易には左に向けられない。弱ったものだ。

 最近梅雨にかかわらず日差しが強くなってきて、駐車場の下のコンクリートが耐えがたく熱くなる。小屋の陰へ行こうとするのだが、なかなか立てないでついつい鳴いてしまう。

 隣のおばさんは、まず眼に溜まった涙を拭いてくれ、飼い主の用意した生ぬるい水は避けて、家から蒸留水の冷たい水を持ってきてくれ、スポイトか注射器で口に含ませてくれる。そして、身体全体を丁寧に拭ってくれ、うんちやおしっこの時は肛門からお腹迄ゆっくりと擦ってくれる。これが毎日のおばさんの日課である。吾輩が待ち遠しい時間である。

 ある時体調が優れず、寝そべったまま動けなくなった時のおばさんのパニックは大変なものだった。おろおろして「大丈夫! 大丈夫だね!」と何回も声をかけ、とうとう飼い主の家族まで出てくる始末だった。ところが吾輩の飼い主は、おろおろすることなく平然とおばさんの行動を見つめるだけであった。吾輩は、どちらが飼い主なのか分からなくなってしまった。

 やはり、隣のおばさんは「吾輩のお母さん」だ。

 吾輩の老化が進む中で、1つ嬉しいことがあった。

 それは、おばさんを中心として、近所のおばさん・お母さんたひが、「さくらを見守る会」というようなものを結成してくれたことだ。メンバーは、身体を拭くシートやボディタオルの袋や缶を次々と買ってきて、おばさんに渡している。小さなコミュニティが生まれたようだ。

 吾輩も老境に達して初めて味わう、人間の情の深さと有難さを、今、しみじみと感じている。

 飼い主には恵まれなかったものの、隣のおばさんをはじめ情の深いご近所さんに出会えたことは、吾輩の唯一の幸運であり、また、おばさんを中心としたコミュニティに寄与できたことが、おばさんに対する唯一の恩返しなのかもしれない。

 隣のおばさん、ご近所のおばさん・お母さん、最後までよろしくお願いします。

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2021年6月14日 (月)

今更ながらの政治家の感覚!

 東京五輪開催が近づいている。中止、延期、無観客、制限付き有観客と、開催1か月前になっても決まらない。それでも「開催」だけは既定の事実として、着々と準備が進んでいる。

 これに関する菅首相をはじめ政治家たちは、「どんなことがあっても開催しなければ、政治生命がない」ようなひっちゃきさで突き進んでいる。菅さんはG7で各国首脳に「開催支持された」と手放しの喜びよう。違うだろう!日本国民との命の危険との問題なので、各国の首脳がどう思おうと関係ないと思うが。小池さんは主催者である東京都知事だが、都知事の後を考えて煮え切らない態度に終始。自らたちあげた都民ファーストの会の7月都議選はほったらかし。自民党、公明党は、秋の衆議院選を控えて、絶対的な旗印の五輪成功を唯一の議席奪回の旗頭としている。野党は、何もない批判、揚げ足取りに終始して論外。

 国家的危機に際しての政治家の決断力こそ「政治家としての真骨頂」 

 言っても無駄だろう。

 1つ提案がある。政治無関心ではなく政党不支持票を活かせる選挙制度はないだろうか。政党支持率を観ても国民の半分以上が無関心ないし政党支持なしの事実を無視してはいけないのではないだろうか。

 すなわちある一定以上の「支持しない票」があれば、その選挙は無効、とする。選挙のやり直しで時間がかかるが、1部組織票に頼ることのない政治家の選挙活動がみられるし、金をばらまく議員も少なくなるのではないか、これこそ真の民主主義のような気がするし、小者の政治家の排除に役立つような気がする。

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2021年6月13日 (日)

ペットブームに警告!

 このブログにも「妻の無償の愛」とか「老犬さくらの独り言」を掲載していたが、飼い主の覚悟と自覚の足りなさは現代の風潮か、と思ってしまう。

 コロナ禍で外出自粛下で、やたらとペットを飼いだす人が増えているという。テレビにも必ず犬、猫をはじめ「ホッ」とするような動物の動画が流され、視聴者の方も心が癒される。しかし、問題は「飼い主」としての人間の問題がおろそかになっている。可愛いだけでは「生き物」は飼えない、いかにこまめにお世話するか、あるいは心を鬼にして仕付ける努力が必要なのである。

 向かいの家の話で恐縮だが、基本的には1人の寡婦が住んで、息子夫婦、娘たちが遊びに来る、という構成である。ウイークデーはその寡婦は務めがあるらしく、朝の散歩(今はどうかな)の後、夜まで留守になる。昼間泣き出したら誰も世話する人がいないのが基本である。そこで「妻の無償の愛」の登場である。近所の人たちと力をあわせ、冷たい敷シートや顔や体を拭うシートを揃えてこの犬の環境を整え、我が女房は「出入り自由」のお墨付けをもらい世話をしてる。

 問題は飼い主である。世話になっていることが分かりながら、感謝の言葉の破片すらないのである。夜、鳴き声緒を聞いても出てこず、一体この犬を飼い始めたのは何故なのか、と思ってしまうぐらいである。

 近所のある人が保健所に電話したらしい。保健員がきたが留守で進展がなかったらしい。さすがの小生も区役所に直訴すると言い出したが、さすがはわが女房。「お世話は私が好きでやっていることでこれは犬と私の関係。2人が良かったらそれでいいのでは」と宣った。

 「えらい!」

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2021年6月 6日 (日)

再び呆れる!物言わないマスメディア

 大手マスメディアが東京五輪に協賛しているからか、海外マスメディアの五輪開催批判に一切耳を傾けていないのは中地の事実。ただ五輪開催の世論調査を紹介するだけ。ただ、朝日新聞は社説で五輪開催を中止しろ、という主張をしたが、その後、何があったのか朝日は沈黙してしまった。

 今日はテレビのそこまで言って委員会で、あの安倍前首相や菅首相のブレーンで、現在は何故か「パソナ」の会長になっている竹中平蔵が分科会座長の尾身氏を攻撃。謁見だと怒鳴ったが、居並んだコメンテーターは誰も反論しなかったのには、呆れかえる。

 そもそもパソナとは、南部氏が創業した人材派遣会社で、今回の東京五輪でも、巨大な利権を握っている企業である。しかもこの南部氏が安倍さんに近く、このお陰でパソナ会長にはめ込まれた経緯がある。このような人物に何も反論できないメディアは、ない方がましなくらいである。

 新聞記者魂、メディア気質は、遠い昔の世界なのかもしれない。

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2021年6月 5日 (土)

ご都合主義の分科会・第三者委員会等!

 新型コロナの政府分科会座長の尾身氏と政府がぎくしゃくしている。きっかけは、尾身氏が「緊急宣言下の五輪開催はありえない」発言からである。五輪開催を政権維持のための切り札と位置付けている政府が、世論の動向にマッチする尾身氏発言を「裏切者」とみなしたのである。「学者個人の研究で個人的見解」と一蹴したのだ。

 今までのコロナ禍での様々な施策の遅れを、分科会をうまく利用して乗り切ってきた感がある政府にとって、「とかげのしっぽ切り」では許されまい。いかにも今まで分科会をご都合主義に利用してきたのが露呈したものと言える。

 このような類いの話は、政治世界における分科会、専門家委員会、諮問委員会、モニター会議等々の名前がつくものは、学者や専門家の意見を聞いている振りをして、公平性を訴えている道具になっている。これは総務省はじめ官僚世界の不正の第三者委員会や企業社会での第三差委員会なるものも同様である。

 問題は、分科会でも第三者委員会でも、そのメンバーをだれが選んだかである。自らの不正調査を自らが選んだ第三者で委員会を作っても、それは決して「第三者」とはいえない。自明の理である。これを糾弾しない日本のマスコミも情けないが====。

 いずれにしても、「第三者委員会」「分科会」「専門家会議」「諮問委員会」なるものにご注意を!!!!

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